日々のアウトプット

日々起こる事に対して、私なりに思う事をを勝手気ままに綴っています。

綺麗事②

一つハッキリしている事がある。

それは、みんな自分の為に生きている
という事である。

それを自覚している人、そうでない人。

「私は人の為に生きている」そう言う人も、
本当は自分の為である。

そんな人には何かしらの違和感を覚える。

それは「綺麗事」だと分かるからだ。
(※自分=世界というような認識を既に持っ
    ている人はまた少し別な話になる)

だが、それに違和感を感じない人もいる。

何故ならその人もまた「人の為」と言いなが
ら本当は自分の為に生きている事に気付いて
いないからだ。

『自分の為に生きている』という自覚がある
人からは、簡単に見破られるものである。

「人の為」…その根っこには、許せなかった
出来事、嫌な思い出、辛かった事、自分の中
で消化出来ていない何か…

そんなものが必ずある。

という事は、『人の為』以前に、まず自分の
根っこに気付いてあげる事だ。

ずっと『人の為』に観えていたのは自分の為
という事に気付く為だった。

『綺麗事』を言っているように感じる
『アノ人』がアホっぽくて嫌気がさすだろう?

そうではない。『綺麗事』を言っているのは
『アナタ』の方だったのだよ。

アナタが観て感じたものは、そっくりアナタ
自身を映し出している。

もう自分の為に生きて良いのだ。
(気付いてしまって良いのだ)

やってみれば分かる。

上手くやろうなんて思わなくて良い。

『お金の為』なら『お金の為』で良い。

ずっと流れに抵抗し『上手くやろう』と
頑張ってたんだろう。

流れに乗るのは『怖い』だろう。

だが、自分の為に生きる事が、全体の流れ
に乗る事であり、全体の為であるのだよ