「嫌い」は実は好き
例えば、以前の記事に
「もし本当にスピリチュアルという言葉に対して嫌悪感があるならば、そういう本やブログなどを読まない事だ。そういう話をしてくる人がいたら距離を取れば良い。」
と書いたが、なんだかんだ嫌悪を感じながらも読んでしまうものだ。
何故か?
それは好きであるからだ。
「いや、本当に嫌いなんだ」
と言うかもしれないが、深く探ってみれば気付くと思う。
もしくは「攻撃」するのが好きか、自分の正当性を示したいかだろう。
どちらにしても、単に「嫌い」ではない事に気付くだろう。それはつまり、その「相手」を通して「好き」があるという事だ。