アナタの世界
人はそれぞれ「コレは良い、コレは悪い」などの判断を持ち、その数は無数であり、アナタの世界はアナタの判断にまみれ成り立っている。
食事中のマナー、食べる物の基準、その日の天気状況、服のセンス、車の運転の仕方、挨拶の仕方、健康状態…つまり、話し方から考え方から、全てのものに「アナタ」なりの判断が付いて回る。
しかし、アナタの判断は、他人のソレとは違う。
アナタが感じる世界と、アナタ以外が感じる世界は全く別のものという事。
なるべく同じような世界にしようというのが学校制度や日常に溢れている情報操作等とも言えるが、それに対し疑問を持つ者も多く現れてきているのも事実である。
やはり思想を統一しようとしても無理がある。「普通」ではないように見えるこの世界も、実は普通な自然の流れでしかない。
綺麗事②
一つハッキリしている事がある。
「嫌い」は実は好き
例えば、以前の記事に
「もし本当にスピリチュアルという言葉に対して嫌悪感があるならば、そういう本やブログなどを読まない事だ。そういう話をしてくる人がいたら距離を取れば良い。」
と書いたが、なんだかんだ嫌悪を感じながらも読んでしまうものだ。
何故か?
それは好きであるからだ。
「いや、本当に嫌いなんだ」
と言うかもしれないが、深く探ってみれば気付くと思う。
もしくは「攻撃」するのが好きか、自分の正当性を示したいかだろう。
どちらにしても、単に「嫌い」ではない事に気付くだろう。それはつまり、その「相手」を通して「好き」があるという事だ。
スピリチュアル②
一般には「非科学的」と言われるものが「スピリチュアル」というカテゴリーに入れられているようだ。
だが「科学的」というものも、単に仮説を証明されたものに過ぎない。
「地球は丸いはず」なのに球体のどこに立っていても誰一人落下する事が無いのは「重力」だと科学的に証明されたからだ。
だが、重力という科学的な証明がされていなければ、その原理は摩訶不思議なものであり「スピリチュアル」なものであるだろう。
例えば妊活をしていた人が「諦めた」途端、妊娠をしたなんて話はよくあるが、そんな話は科学的な証明が無いので「スピリチュアル的」なものになる。
勿論例外も多いが、それは科学的に証明されたものであっても例外はつきものだ。
我々が普段気付いていないだけで、世界は摩訶不思議なものにまみれている。
それを「スピリチュアルなものだらけ」と捉えるか「当たり前だらけ」と捉えるかは、結局のところ同じである。
犬のように③
「生き物」らしくなってくると、次第に他人に対して違和感を覚えるようになる。
「何故そんなにこだわっているのだ?」
「何故そんな事をしているのだ?」
「何故気付かないの?」
苛つく事もあるだろう。
その「苛つき」は、密かにアナタからも感じられていた事た。だがアナタはそれについて責められた事は無い。
アナタは許されていたのだ。
悪いお金
当ブログは自分及び他人を許すという目的…はもっていないが、許す目的に使用してもらえれば幸いと思っている。決して責める方向は望んでいない。
さて、「悪いお金」とはなんだろう?
今何かと話題になっているようだね。
仮にアナタが凄腕営業マンだったとして、大した商品だと自分でも思っていないモノを、あたかも凄い良い商品かのようにバンバン売っていたとしたら、それは「悪いお金」とは違うのかな?
そもそも売りつけた相手の持っているお金も「悪いお金」かもしれないね。
勿論合法だし、騙している感覚も無いだろう。
だが世の中そんなものだらけとは言えないだろうか?
パチンコはどうだろう?そもそも三店方式の仕組みそのものが「騙し」のようなものではないか?
コマーシャルはどうだろう?起用された芸能人は本当に使っているのか?
効果なんてハッキリ言ってよく分からないサプリメントや、デメリットだらけでもメリットだけを強調して販売するやり方もあるね。
あまり大きな声では言えないが、医療だって似たようなものだ。全部ではないがね。
実は私も一応医療関係者ではあるが、患者さんの帰り際に必ず言う「お大事に」には違和感がある。医院側の本音は「ありがとう」なのは言うまでもない。特に個人病院などはそうだろう。
とにかく「売ること」「稼ぐこと」。これに関しては多くの人がそうだろう。
「騙し」とは違うが、生き物の命を売る商売なんかはどうだろう?
「騙す」感覚の大きさに差はあれど、大きな視点から見ればどちらも同じようなものではないだろうか?
大きな視点から見れば、我々人間などみんな同じようなものだ。