勝手に助かる
あたかも「自分が助けた」と思っている人でも、本当は「勝手に助かっている」だけである。
実際に「助かりました」とお礼を言われた事がある人なら分かると思うが、「いやいや、アナタが勝手に助かっているだけですよ」「大した事してないですよ」というように、「助けた」なんて感覚はあまり無いものである。
それが「自然に流れている状態」とでも言っておこうか。
「勝手に助かっている」
…厳密には「助かっているように見えている」だけ。
「助かっていないように見えている」だけ。
「助かる」も「助からない」も無い。
ただ流れの中で「助かっている状態」「助かっていない状態」を切り取っているに過ぎない。
そう、全てアナタの中の、アナタの世界の認識である。
心の余裕
大抵の悩みは心の余裕で説明がつく。
ひきこもり問題も、悩んでいるのは本人もそうだが、結局は主に親であり、先の分からない将来を考えればキリがなく、心の余裕など無い。ひきこもっている本人もまた、周囲又は自分自身でも人生に悲観して余裕は無い。パワハラ上司も心に余裕が無い為に周囲に当たり散らす。される方も、いつでも辞める余裕があれば悩まな。余裕があれば受け流す事も可能である。煽り運転も余裕が無い。
あらゆる犯罪も、心の余裕で説明がつく。
窃盗もお金の余裕の無さで悩むのは、結局心の余裕の無さであり、身勝手と言われる犯罪も自分の事で精一杯で余裕が無い。
テレビをつければ不安を煽るニュースや情報。そんなものを観ていて心に余裕など持つ暇は無い。
だがアナタは言うだろう「ちゃんと情報を得て危機管理をする事が大事だ」と。
それも、そうなった時に受け入れる心の余裕があれば問題は無い。
すると、またこう言うかもしれない。「いきなり強盗に襲われてもそんな呑気な事言えるのか」と。
泣き叫ぶかもしれないし、もしかしたら動けないかもしれない。だが、そうなったら、そうなっただ。
さて、余裕を持つにはどうすれば良いか?
例えば、余裕が出るまでゆっくり休む。
例えば、早起きすれば朝の時間から余裕が生まれ一日が始まる。そして、その為には夜早く寝る。
例えば不登校であるならば、無理に乗り越えようとしない。頑張れば頑張る程、心に余裕は無くなっていく。そんなものは頑張る余裕が出てきたらで良い。
どうしたら良いか?
「どうしたら良いのでしょう?」
と言っている時点で、既にアナタはアナタの人生を生きてはいない。
他人の人生のオマケか何かのつもりだろうか?
アナタの人生を生きるのだ。
「どうしたら良いか?」
そんなの「どうでも良い」のだよ。
アナタが正解なのだから。
世界の中をアナタが進んでいるのではなく、アナタの中を世界が進んでいるのだ。
問題を解く
問題があったら「解かないといけない」。
壁が立ちはだかったら「乗り越えなければならない」。
そのように教え込まれているだろう。
それが当たり前であり、「正しい」事だと思っているだろう。
だが、楽に生きている人というのは、逃げるし、解かないし、乗り越えない。
ただ、自分自身からは逃げない。解きたければ解く。壁を登りたくなったら登って乗り越える。それだけの事。
無責任
アナタが「(あの人は)無責任だ」と言う時、必ずアナタも無責任だ。(自覚してない無責任なところがある)
自覚をしたら、今度は「無責任」にならないようにする…という事ではなく、ただ単に「無責任」である事を自覚すれば良い。
我々は皆、無責任だ。
モヤモヤの原因
アナタはこれ迄全て自分の為にやっていたと知る事だ。
他人の為、社会の為、世界の為なんていう理屈を付けるから、「アナタ自体が」ややこしくなる。
他人の為にやっていているのに、困っている人は減らない…
社会の為にやっているのに、社会が良くならない…
世界の為にやっているのに、世界が良くならない…
このモヤモヤの原因は何だろう?
簡単だ。全て自分の為にやっていたのだと思い出すだけで良い。
副作用
ひと言で言うと、「作用」も「副作用」も、どちらも「作用」である。
そこから「都合」によって「作用」か「副作用」に分けているだけである。
都合のあまり良くないものを「副作用」。
効果が出れば喜ばしいものを「作用」。
これもまた殆どの人が気付かない言葉のトリック。