引きこもり問題
「引きこもり」について、ああでもない。こうでもない。と議論されている。
意見が分かれれば、お互い自分の主張が正しい筈と「我」を強化する。
お互い「引きこもり」という「問題」について戦う。
だか、問題があるとするなら、その主張している「我」が問題なのだ。
「引きこもり」という「問題に見えるもの」は、自分自身の問題を浮き上がらせるキッカケでしかなく、出来事そのものは何の問題も投げかけてなどいない。
主張=考え自体はどちらも正しい。
正しいというか、そう思っているのなら、本人の世界ではそうでしかないからだ。
それを「こっちの方が正しい」と説得したところで、本人が違うと感じれば違うのだ。
引きこもり問題にしろ、不登校問題にしろ、それを問題と捉えている根底には何があるか?
…残念ながらそれはアナタ自身の問題となる。
引きこもり・不登校問題を解決しようといくら頭をひねったところで、アナタの問題なのだから、答えが出る事はない…自分の問題と気付く迄は。